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気仙沼
金曜から日曜の朝にかけて

ハイソで気仙沼へボランティアで演奏しに行きました。

午前中は気仙沼中学校

午後は障害者の方の施設で演奏をしました。





このお話を頂いたのは確か夏休み前とかで。

わたしはボランティアにとても興味があったし、ずっとやりたいと思ってたから

二つ返事でお引き受けしました。

もちろんいつもはお金を頂いて演奏するわたしたちだけど

個人的に、演奏がなにか被災地で役立つのならと嬉しく思ってました。

だけど音楽っていったい何ができるんだろうとか、

きっと音楽なんて聴いているどころではない人がまだまだたくさんいて

わたしたちが行くことに不安がたくさんありました。

でも実際に行ってみて、

逆にこっちが元気をもらえた気さえしました。







朝着いて、最初に行った気仙沼中学校。

行くなり吹奏楽部中学生の子たちが元気に迎えてくれて

みんな笑顔だった。

吹奏楽部11人との交流がメイン。

ハイソが演奏している時も、こんな少人数のお客さんだけど

こんなにきらきらした反応が見られて、すごくうれしかった。

みんなも頑張って演奏してくれて、楽しかった。

そのあと、指導+交流会。

本当にいい子ばっかりだったし、笑顔が絶えなくて

言い方が悪いかもしれないけど、被災していることを忘れそうだった。

あとから聞いたところ、交流した生徒の1/3は家を失い、数人は両親を亡くしたそうで。

そんなこと考えられなかったなあと今も思う。

そういう点では、何も持っていかない状態でのボランティアより、音楽という仲介であり共通の持ち物があって

本当に素直に音楽をたのしめた。

みんないい子だったなあ。

とてもいい交流ができたと思う。








午後は高台にある障害者施設。

坂を登ったところにあったんだけど、向こうの方に海がみえた。

震災の時も、波がうわーっと押し寄せてくるのが見えたらしい。

本当に怖いことだなと見て思った、どうしようもないよね

施設ではご年配の方がたくさん見てくださった。

普段大きい音が嫌いな人も、この時は喜んで見ていたそうで。

なにより^^

演奏中も踊り出す方もいらっしゃって

この回も間近でお客さんの反応が見られてうれしかったなあ

みんな悲しみを乗り越えて、精一杯生きているんだと思った。








そのあと夕方から、バスで被災地を回った。

バスガイドをしてくれたのは、このまえ早稲田を卒業した方。

内定ももらっていたけど、震災後それを捨てて気仙沼で住み込みでボランティアをしている方でした。

すごいなあと思う。

気仙沼から唐桑半島をまわり、陸前高田市まで行きました。

陸前高田はテレビで何回も見ていたし、震災から半年以上がたっていたから、今はだいぶ片付いているのかとばかり思っていたけど。

思った以上に衝撃的だった。

がれきの山しか無くて。

ここに町があったなんて、到底想像できなかった。

メディアで報道された陸前高田病院や、一本松も見ました。

まだ法律で建物を建ててはいけないことになっているために、なにも建てられないらしい。

変色して変形した車の山だとか

水浸しの道路だとか。

初めて知ったけど、地盤沈下がすごいらしい。

今も続いているらしく、海岸線がすごい手前にあった。

だから道も、建物があったところも水がたまっていて、あれは海水なんだとか・・・

深刻な問題。

陸前高田は、町を作る際に「自然か、産業か」ということで自然を選んだ結果

海岸に大きな堤防等を作らず自然の美しい風景を残していたそうです。

その結果、波はとめどなく町に流れ

気仙沼にくらべると建物がほとんど無くなってしまったらしい。

本当に何もなくて、ただの空き地に見えてしまった。



暗くなってから気仙沼の漁港を歩きました。

つかない信号機が不気味で

なんの商店もやっていなくて。

暗くなるにつれて漁港にある船の明かりだけが頼りになる状態だった。

復興はもちろん、復旧すら十分に進んでないことが一目瞭然。

ただ陸前高田に比べてたてものは、残っている。

残っているだけで何も機能はしていないけど。

商店・住宅街であっただろう町を歩きました。

歩いた道は土で盛られているから歩けたけど、盛ってないとこは水浸しだった。

魚市場も見えたけど、なんだか海に浮いているような、むしろ半分海から建物が建ってる感じだった。

もう、町が全部海に浸っていた。

残っている建物も半分崩れたままで、

なんだか映画のセットの中を歩いている感じだった。

「あそこまで水がきたんだよ」って、言われたけど

到底想像がつかなかった、

本当に恐怖だと思う。







ガイドの方によると

現地のニーズはより難しいものになって来ているらしい。

例えば在宅の方と仮設住宅の方のコミュニティ意識の差。

仮設住宅近くでボランティアがイベントを催したとしても、

在宅の方はコミュニティの違いを感じて来なかったりだとか。

でもそのコミュニティづくりは、よそ者がやっていくらしい。

コミュニティづくりに必要なのは「よそ者、バカ者、若者」だと仰ってました。

技術をもったボランティアも必要だけど、学生にはできることがまだまだたくさんあるのかな。

同時に、音楽という技術があるのが羨ましいとも言われました

確かに、今回音楽の力(って言うと陳腐だけど)を身をもって実感できた。

音楽が発揮するというか、音楽があるから発揮できるというか。

人と接していく一ツールなんだと思った。

技術がどうとかではなくて。

中学生と向き合えたのも、不安があったけど音楽があったから。

なんだか不思議。

音楽ができるってとても幸せなことだと思う。










自分の気持ちはまだまだまとまっていないから、だらだらと書いてしまったけど

今回のボランティアは本当に良い経験となりました。

今後どのように被災地、被災された方々と接して行く機会があるか分からないけど

被災地と同じように、未来をつくっていくのはわたしたちだから

一緒に考えて行きたいとおもった。

あと、半年以上たった今行くということにとても意味を感じました。

震災から時間がたつにつれて、メディアで報道される数も減って来ているけど、

現地ではまだ始まってすらいないし

これからみんなで考えていかなきゃいけないんだって思った。

マイナスからの街づくりって、どのくらいの時間が必要なのか分からない

もっと応援したいって思った。

交流した中学生たちも、みんな頑張っている

あの状況の中、音楽と向き合っているひたむきな姿を忘れないようにしたい。





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【2011/10/16 16:43】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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