スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
悲しい思い出は、の方程式
おとといくらいにわたしの好きな番組で

「旅行はどこに行くかではない、誰と行くかだ」

と言っていて

ああ、なるほどと思いましたね

価値観の同じ人と旅にいけるほどいいことは無いわ

んむ。

でもそれって、旅に限らないよね

たとえばハイソにいる人たちはジャズが好きとか、ビッグバンドが好きって言うひとつの価値観を共有しているわけで

日々なんの嫌な思いもせずに過ごせて4年間やってこれたって、すごい価値観の一致というか

すごいことだと思う

ほとんどのことは価値観という言葉で片付けられてしまってもいいと思うくらい(実際はそんなことで片付けてはいけないこともあるだろうけど)、価値観っていうのはわたしの中では重要なことだと思う。

毎日一緒にいる人たち、だけど少しずつ価値観は違うんだとは思う。

だけど少しずつある価値観のずれを、思いやりとか、意欲みたいな想いで帳尻合わせていくことに

醍醐味というか、可能性があるんだなーっておもう

とかね














今日はメディア芸術祭に行ってきました。

わたしがこれに行くようになって3年目。

毎年驚かされる作品がとても多くて楽しいです。

生活の中にはアイデアとかデザインがあふれていて面白いよね。

遊び心とか。

先週も六本木にいて、21_21 sightのデザインあ展に行ってきました。

こちらも遊び心満載で、こどもっちらがわちゃわちゃいてすごい楽しかった^^

フランスでは、アートが街に溢れていていいなあ~って思ってたけど

案外日本も、新しいかたちをとってアートに溢れ始めているのかも。

絵画とかじゃなくて、もっと違う媒体で。

それ自体が、どこからがアートなのかという問いにもなってて楽しい。

生活とアートは一体になってきていると思うのよ。















それとは全然関係ないのですが

今回のタイトルは自分でも変だと思うのだけど

最近悲しい思い出をよく思い出します。

でもその悲しい思い出って、ちょっと冷静に考えたら、

なんかかなり自分の中で美化されているんじゃないかと思ったんです。

自分が悲しい思いをして、

その時は悲しみでしかないんだけど

時間がたつほどにその悲しさ自体が美しい思い出になっちゃうんじゃないか、的な

悲劇の美しさに似ているような気もするんだけど

前芸術論で、悲劇の美しさについてちょっと触って

それを思い出したりもしたわけです。

それにしても

なかなか忘れられなくて悔しかったりもしていて

この先なにがあってもわたしの中の美しい思い出なんだろな

未練があるわけじゃないから全然いいんですけどね。














そんな感じ

スポンサーサイト
【2013/02/17 21:55】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<この全てへの気持ちを | ホーム | Supernova>>
comments
please comment













管理者にだけ表示を許可する

trackback
trackback url
http://boneda.blog75.fc2.com/tb.php/1076-d7de7a8f
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。